平成28年6月30日(木)-7月3日(日)

「晶子の乱」

筑豊の炭鉱王・伊藤伝衛門を情熱的に演じました!



明治時代。大阪、堺の和菓子屋のいとはんである晶子はその教養と生命力、風流心で女のしたたかさと情と品格を詠い、女性解放を詠い、歌人の与謝野鉄幹らと共に、凄まじい激しい人生を歩きます。与謝野鉄幹こと与謝野寛は明治6年2月26日に京都の住職の4男として生まれています。

「妻をめとらば才たけて 顔(みめ)うるわしく情けある 友をえらばば書を読んで 六分の侠気四分の熱」

この連ではじまる「人を恋ふる歌」は与謝野鉄幹の作詞である。かつての旧制高校生や青年たちは酒に酔い、よく歌ったものでした。この「丈夫(ますらお)ぶり」は鉄幹が主張したものであり、と口ずさむだけで勇壮な気分になる。鉄幹は寛の号である。

“やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君”

大胆な表現で明治の人々を驚かせたこの歌のモデルは、晶子が恋をしていた河野鉄南である。鉄南は気弱な人であった。鉄南が持っていた一冊の雑誌「明星」が晶子に新しい恋を芽生えさせる。「東京の与謝野鉄幹という歌人が「明星」という雑誌をださはった」。弟の籌三郎の弾むような声であった。

明治33年8月3日、大阪平井旅館。
舞台はここから始まる。鉄幹は夜行で東京を発ち平井旅館に着いたことを鉄南に知らせる。ただちに鉄南や鳳晶子、山川登美子らは平井旅館に集まる。鉄幹と晶子はこれが初対面であった。
「堺の鳳晶子でございます」
「明星の与謝野鉄幹です。もそっとこっちへいらっしゃい」
「はい」
「わたしは堺の覚応寺に養子となって、僧侶をしていたことがあります。駿河屋さんの店先に可愛いお譲さんが店番をしていたけど、あれはあなただったのですね。あなたとはご縁があるのです」
「……」
「「明星」の女流作家のなかでは、あなたと山川登美子嬢が期待の星です」
晶子は書いた。

“その夜の日かげはまぶしかりき、げにその夜は羞しかりき、八月四日なり”

ライバルの登美子や雅子との女の闘い、晶子が愛した弟籌三郎への旅順攻撃の召集令が「君死にたもうことなかれ」を書かせたのです。つましやかに生きている女のたったいちどだけの乱。そして、筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門の苦闘と抗争や、宮崎龍介と「筑紫の女王」柳原白蓮の恋と事件……。時代はうねりをあげて動きます。
岡部耕大が、現代までも通じる男と女、時代を骨太に書き上げ、ダイナミックに演出しました。